終末の検証サロン



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[1055] Re: Taeko Shirakiさんからエントツ(〇十sun)さんへ

投稿者: 〇十sun 投稿日:2014年10月19日(日)20時59分53秒 pa8ec7b.kngwnt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用

Re: Taeko Shirakiさんからエントツ(〇十sun)さんへ

2014年10月19日(日)20時17分43秒 pa8ec7b.kngwnt01.ap.so-net.ne.jp

投稿者:

〇十sun
 通報 / 返信?引用
> Taeko Shirakiさんからエントツ(〇十sun)さんへ
>
> あなたがそれらを自分で自由に解釈して、そう思っていればそれでいいでしょう。
> そしてあなたの意見と同調する人と話しあわれたらいいでしょう。
>
> ただ、飢饉が来ると書かれているような時代にのめり込んでいることで
> 現実にそのような【次元につながる】そうですが、それをイスラム国は知らせています。
> 豊かな日本でも、現実にお金がなくて飢餓状態になり、多くの事件を起こしている人たちも、同じような次元につながっていると思っています。
>
> 私が受けているソラからの情報の多くは、【全く思ってもいないこと】と言うの
> がとても多くて、それが全ての分野でつながっていきますが、あなたはそのソラ
> の情報をほとんど知らなくて、「重箱の隅をつつくような書き込みにはお付き合いできません」と書いたはずです。
>
> 歴史に関してはソラからの情報ではほんの一部で、私はあまり重要視していません。
> ましてや人間の書いた本は、これまで焚書がなされてきたように、当時の権力者
> が都合の良いように書いていますので、真実のことが書かれているとは思っていません。
>
> 何より重要視しているのは、地球上に残されたあらゆる謎の答えです。
> それらはこれまで誰も書いた事ありませんので、それらのことを誰が憑依して教えて来るのですか?
>
> 霊界とやらは、それこそソラにあがれないで、地上近くでふらふらしているいわゆる浮遊霊の世界です。
>
> 菅原道真が戦前にあまりに大変なことになりそうなので、そのような浮遊霊になっていた自分の部下に伝えた言葉を、当時まともな生活もせず霊的なことばかり関わっていた天明に降りただけの言葉をなぜ、そのように何時までもこだわられるのか?
> それこそ天明に取り憑かれているとしか思えません。
>
> >人の歓喜に少しでも貢献したい人向けに書かれているかもしれない例えです。
>
> 飢饉が来ると脅かしておきながら矛盾していませんか?
>
> 何度も言いますが、これが書かれた時代のことを警告しているだけなのになぜ今に当てはめたいのですか?


*建替の知らせが飢饉かもしれず、同時に臣民から獣が分かれて臣民にとっては神のいない世になるでしょう。ただし、獣から身を守るための物質の変化に言及していますので、今回は臣民が獣に分かれるまでの流れを引用させていただきます。

*神示が書記されたのは原文でした。内容の解読については戦後から本格的に行われたと思います。
解読の内容を知ってから広く告知するために製本化されたのは明らかです。つまり、岡本天明本人は第二次世界大戦のことを書いているとは微塵もおもっていなかったということです。

以下神示より引用しました。
[建替、建直]は一度にくるようです。大飢饉の到来によって建替えははじまるようです。そして、臣民(人民)の中に獣が現れるようです。重要なことは獣への防御対策が書かれていないことです。建直しの一面として臣民(人民)はある方法で獣から逃れることも記されているようです。


286+714=1000→1(一)
水の巻 第12帖 (286) 10-12
 人間心には我(が)があるぞ。神心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならず、あってはならん道理分りたか。神にとけ入れよ。てんし様にとけ入れよ。我なくせ、我出せよ。建替と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。建直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいつ)輝く御代とする事ぞ。政治も経済も何もかもなくなるぞ。食べるものも一時は無くなって仕舞ふぞ。覚悟なされよ。正しくひらく道道鳴り出づ、はじめ苦し、展きゐて、月鳴る道は弥栄、地ひらき、世ひらき、世むすび、天地栄ゆ、はじめ和の道、世界の臣民、てん詞様おろがむ時来るのざぞ。邪魔せずに見物いたされよ、御用はせなならんぞ。この神示読めよ、声高く。この神示血とせよ、益人となるぞ。天地まぜこぜとなるぞ。六月十二日、みづのひつ九の 。

春の巻 第58帖 (715)→714 27-57
 心の洗濯 早ういたして 太   (オオヒツキ)太神様に、殊に育ての、生みの親さま 九二十九十千(クニトコタチ)の大神様の御実体を理解せねば、自分でいくら頑張っても やりそこないぢゃ。われがわれがと思ふてゐるなれど、皆このほうがかげからさしてゐるのに気づかんのか。おわびせよ。と申せば、そんな悪いことした覚えないと申すが、何処迄くもったのぢゃ。神にささげるには、自分に与へられたものの中から ささげねばならんゾ。むさぶり取ったり横取りしたり、自分のものでないもの、もうけたカスを神にささげて威張ってゐるが、それはささげ物にならん。神は受け給わんぞ。泥棒のお残りちょうだいは真平ぢゃ。自分のもの先づささげるから弥栄えるのぞ。おかげ万倍間違ひなし。


[タテコワシ、タテナホシ、一度になるぞ]
735+265=1000→1(一)
夏の巻 第19帖 (736)→735 28-19
 その人その人によって、食物や食べ方が少しづつ違ふ。身体に合わんもの食べても何もならん。かえって毒となるぞ。薬、毒となることあると気つけてあろうが。只歩きまわってゐるだけではならん。ちゃんとめあてつくって、よい道 進んで下されよ。飛行機あるに馬に乗って行くでないぞ。額に先づ気あつめて、ハラでものごとを処理せねばならんぞ。形ある世界では形の信仰もあるぞ。偶像崇拝ぢゃと一方的に偏してはマコトは判らんぞ。

キの巻 第08帖 (265) 9-8
 今迄して来た事が、成程 天地の神の心にそむいてゐると云ふこと心から分りて、心からお詫びして改心すれば、この先末代身魂をかまうぞ、借銭負うてゐる身魂はこの世にはおいて貰へん事に規則定まったのざぞ、早う皆に知らしてやれよ。タテコワシ、タテナホシ、一度になるぞ、建直しの世直し早うなるも知れんぞ、遅れるでないぞ。建直し急ぐぞ、建直しとは元の世に、神の世に返す事ざぞ、元の世と申しても泥の海ではないのざぞ、中々に大層な事であるのざぞ。上下グレンと申してあることよく肚に入れて呉れよ。三月十一日、ひつぐの神。


[世界一度に見へる心に鏡磨いて掃除せよ]
521+479=1000→1(一)
黄金の巻 第11帖 (522)→521 24-11
 今度の【イワト】びらき、神と人との九十運動ぞ。建替の守護が大切ぞ。先づ一筋の天地の道から変へるのぢゃ。次に人の道つくるのぢゃ。経と緯であるぞ。人の道と天地の道と間違へてゐるぞ。人の道は花色々と咲き乱れ、織り交ぜて、楽し楽しのそれぞれであるぞ。自分で自分のことしてゐるのであるが、又させられてゐるのであるぞ。大き自分に融け入ったとて小さい自分無くなって了ふのでないぞ。神人ぞ。天地ぞと申してあらうが。善もかりぞ。悪もかりぞ。よく心得なされよ。かのととりの日。一二十(ヒツキノカミ)

青葉の巻 第11帖 (480)→479 22-11
 世界一目に見へるとは世界一度に見へる心に鏡磨いて掃除せよと云ふ事ぢゃ、掃除結構ぞ。善と悪と取違ひ申してあらうがな、悪も善もないと申してあらうがな、和すが善ざぞ、乱すが悪ざぞ、働くには乱すこともあるぞ、働かねば育てては行けんなり、気ゆるんだらすぐ後戻りとなるぞ、坂に車のたとへぞと申してあろがな、苦しむ時は苦しめよ、苦の花咲くぞ。世は七度の大変り、変る代かけて変らぬは、誠一つの九(こ)の花ぞ、九(こ)の花咲くは二三(ふみ)の山、二二(ふじ)は神山神住む所、やがて世界の真中ぞ。八月三日、ひつ九の 。

[悪の大将も、そのことよく知ってゐて、天地デングリ返るのぢゃ。]
488+512=1000→1(一)
青葉の巻 第20帖 (489)→488 22-20
 己の心見よ、いくさまだまだであろが、違ふ心があるから違ふものが生れて違ふことになる道理分らんのかなあ。世界の愈々のメグリが出て来るのはこれからであるぞ、九月八日の九の仕組 近付いたぞ。人民は早合点、我よしで神示よむから皆心が出て了ふて、誠知らしたこと毒とならん様 気つけておくぞ。薬のんで毒死せん様に気付けよ。今は世間では何事も分らんから、疑ふのも無理ないなれど、神の仕組は何事もキチリキチリと間違ひないのざぞ。宗教連合会も世界連合も破れて了ふと申してあらうがな、つくった神や神の許しなきものは皆メチャメチャぢゃ、三千世界に手握る時と知らずに、(た)の世界、も十の世界を知らんからさうなるのぢゃ、火火の世界、火火の人、水水の世界、水水の人、と交通出来るのぢゃ、人と云っても人間ではないぞ、ヒトカミざぞ、手握って三千世界に天晴れぢゃ、この道 神の道ぢゃ、光の道ぢゃ、教ぢゃ、悪と悪と、善と善と、悪と善と、善と悪と握る手持ちて御座れよ、心持ちて御座れよ、びっくり嬉し箱あくぞ。八月十日、ひつ九 。

黄金の巻 第02帖 (513)→512 24-2
 日本が日本がと、まだ小さい島国日本に捉はれてゐるぞ。世界の日本と口で申してゐるが、生きかへるもの八分ぞ。八分の中の八分は又生きかへるぞ。生きかへっても日本に捉はれるぞ。おはりの仕組はみのおはり。骨なし日本を、まだ日本と思うて目さめん。九十九十(コトコト)と申してカラスになってゐるぞ。古いことばかり守ってゐるぞ。古いことが新しいことと思うてゐるなれど、新しいことが古いのであるぞ。取違ひいたすなよ。【神は生命ぞ】。秩序ぞ。秩序は法則ぞ。為せよ。行ぜよ。考えよ。考へたらよいのぢゃ。為すには先づ求めよ。神を求めよ。己に求めよ。求めて、理解した後 為せ。為して顧みよ。神のいのち其処に弥栄えるぞ。今迄の日本の宗教は日本だけの宗教、このたびは世界のもとの、三千世界の大道ぞ。教でないぞ。八分の二分はマコトの日本人ぢゃ。日本人とは世界の民のことぢゃ。一度日本すてよ。日本がつかめるぞ。日本つかむことは三千世界をつかむことぞ。悪の大将も、そのことよく知ってゐて、天地デングリ返るのぢゃ。物の食べ方に気つけよ。皆の者、物ばかり食べて御座るぞ。二分の人民、結構に生きて下されよ。喜び神ぞ。十一月十七日。ひつ九のか三


[三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ]
557+443=1000→1(一)
黄金の巻 第47帖 (558)→557 24-47
 ナルとは成る言(コト)ぞ。成るは表、主(曰(シ)ゆ)ぞ。ウムとは (ウム)のこと。生むは裏、従(二ゆ)ぞ。ナルは内、ウムはソト。ナルには内の陰陽合せ、ウムにはソトの陰陽合せよ。成ると生むは同じであるぞ。違ふのぢゃぞ。成ることを生むと申すことあるぞ。生むこと成ると見ることあるぞ。ナルとは (ナル)こと、自分が大きく成ることぞ。自分の中に自分つくり、内に生きることぞ。ウムとは自分の中に自分つくり外におくことぞ。このこと判れば石屋の仕組判る。(十一月裏四日)一二十

梅の巻 第17帖 (444)→443 20-17
 今の人民 少しは神示判って居らんと恥づかしい事出来て来るぞ、なさけない事出来てくるぞ、くやしさ目の前ぞ。次の世がミロクの世、天の御先祖様なり、地の世界は大国常立の大神様 御先祖様なり、天の御先祖様 此の世の始まりなり、お手伝いが弥栄のマコトの元の生神様なり、仕上げ見事成就致さすぞ、御安心致されよ。天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一つとなってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽(さや)け、あなすがすがし、あな面白や、いよいよ何も彼も引寄せるから その覚悟よいか、覚悟せよ、あな爽け、あなすがすがし、四十七と四十八と四十九ぢゃ。十二月四日、七つ九のかミしらす。


[五度の岩戸開き一度にせなならんと申してあらうが、生れ赤児の心で神示読めと申してあらうがな。]
631+369=1000→1(一)
黒鉄の巻 第14帖 (632)→631 26-14
 悪の総大将は奥にかくれて御座るのぞ。一の大将と二の大将とが大喧嘩すると見せかけて、世界をワヤにする仕組、もう九分通り出来てゐるのぢゃ。【真の理解に入ると宗教に囚はれなくなるぞ。形式に囚はれなくなるぞ】。真の理解に入らねば、真の善も、真の信も、真の悪も、真の偽りも判らんのぢゃ。今にイワトひらいてあきらかになったら、宗教いらんぞ。政治いらんぞ。喜びの歌高らかにナルトの仕組、二二(フジ)にうつるぞ。(一月二十二日)

岩の巻 第05帖 (370)→369 15-5
 人民 眼の先見えんから疑ふのも無理ないなれど、ミタマ磨けばよく判るのぢゃ、ついて御座れ、手引張ってやるぞ。誠の道行くだけではまだ足らんぞ。心に誠一杯につめて空っぽにして進みてくれよ、このことわからんと神の仕組おくれると申してあろうがな、早くなったところもあるなれど、おくれがちぢゃぞ。苦労、苦労と申しても、悪い苦労 気の毒ざぞ、よき苦労 花咲くぞ。花咲いて実結ぶのざぞ。人民 苦しみさえすればよい様に早合点してゐるなれど、それは大間違ひざぞ。神の道 無理ないと、くどう申してあらうがな。此の道理よく噛み分けて下されよ。神の国は元のキの国、外国とは、幽界とは生れが違ふのぢゃ。神の国であるのに人民 近慾なから、渡りて来られんものが渡り来て、ワヤにいたしてしまふてゐるのに、まだ近慾ざから近慾ばかり申してゐるから、あまりわからねば、わかる様にいたすぞ。眼の玉 飛び出すぞ。近くは仏魔渡り来て、わからんことにされてゐるであらうがな。五度の岩戸開き一度にせなならんと申してあらうが、生れ赤児の心で神示読めと申してあらうがな。二月十六日、ひつ九かミ。


[口と心と行ひとで神示とけよ、堂々説けよ。]
647+353=1000→1(一)
黒鉄の巻 第30帖 (648)→647 26-30
 表ばかり見てゐるから判らんのぢゃ。水晶の心なれば三千里先のこともありやか。人民と云ふものは奇跡見ても、病気になっても、中々改心出来んものぢゃ。死後の生活がハッキリ判っても、未だ改心出来んのぢゃ。それは外からのものであるからぢゃ。まことの改心は、中の中の  のキいただいて、ほっこんの改心出来ねばならん。死後の生活知らすことはよいなれど、それのみによって改心せよと迫るのは悪のやり方。奇跡を見せ、病気を直してやるのもよいのぢゃが、それのみによって改心を迫ってはならん。それのみで道を説いてはならんぞ。そんなこと位でマコトのホッコンの改心が出来るならば、人間は遠の昔に改心して御座るぞ。今迄のやうな宗教は亡びると申してあらうが。亡びる宗教に致して下さるなよ。(一月二十二日)

風の巻 第03帖 (354)→353 14-3
 愈々の大建替は国常立の大神様、豊雲野の大神様、金の神様、竜宮の乙姫様、先づ御活動ぞ。キリギリとなりて岩の神、雨の神、風の神、荒の神様なり、次に地震の神様となるのざぞ。今度の仕組は元のキの生き神でないとわからんぞ、中津代からの神々様では出来ない、わからん深い仕組ざぞ、猿田彦殿、天鈿女命(あめのうずめのみこと)殿、もとのやり方では世は持ちて行けんぞ。今一度 悪栄えることあるぞ、心して取違ひない様にいたされよ。口と心と行ひとで神示とけよ、堂々説けよ。一月四日、一二のかみ。


[松の御代となったぞ。世界ぢうに揺すりて眼覚ますぞ。三千年の昔に返すぞ。]
292+708=1000→1(一)
松の巻 第01帖 (292) 11-1
 富士は晴れたり世界晴れ。三千世界一度に晴れるのざぞ。世の元の一粒種の世となったぞ。松の御代となったぞ。世界ぢうに揺すりて眼覚ますぞ。三千年の昔に返すぞ。煎り豆 花咲くぞ。上下ひっくり返るぞ。水も洩らさん仕組ぞ。六月十七日、あめのひつ九のか三。

春の巻 第52帖 (709)→708 27-52
 まことの光の道に行き、進めよ。ここぞと見極めたら、理解に向ってひたすらに進まねばならん。理屈いらん。宇宙はこの方の中にあるのぢゃ。このほうぢゃ。世が段々せまって悪くなるように申してゐるが、それは局部的のこと。大局から見れば、よきに向って弥栄えてゐるぞ。夏が暑いと申してブツブツ申すでないぞ。秋になるぞ。冬もあるぞ。冬ばかりと考へるでないぞ。やがては春が訪れるのぢゃ。いづれも嬉し嬉しとなる仕組。


[神と獣とに分けると申してあろが、早う此の神示(ふで)読み聞かせて一人でも多く救けて呉れよ。]
775+225=1000→1(一)
冬の巻 第06帖 (775) 30-6
<未発表のため欠帖>

日の出の巻 第12帖 (225) 7-12
 日に日に厳しくなりて来ると申してありた事 始まってゐるのであるぞ、まだまだ激しくなって何うしたらよいか分らなくなり、あちらへうろうろ、こちらへうろうろ、頼る処も着るものも住む家も食ふ物も無くなる世に迫って来るのざぞ。それぞれにめぐりだけの事はせなならんのであるぞ、早い改心はその日から持ちきれない程の神徳与へて喜悦(うれ)し喜悦(うれ)しにしてやるぞ、寂しくなりたら訪ねて御座れと申してあろがな、洗濯次第で何んな神徳でもやるぞ、神は御蔭やりたくてうづうづしてゐるのざぞ、今の世の様見ても未だ会得らんか。神と獣とに分けると申してあろが、早う此の神示(ふで)読み聞かせて一人でも多く救けて呉れよ。十二月十二日、ひつ九のか三。


[日本も神と獣に分れているのざから、いやでも応でも騒動となるのざぞ。]
174+826=1000→1(一)
日月の巻 第01帖 (174) 6-1
 富士は晴れたり日本晴れ。 の巻 書き知らすぞ。此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、見当取れんのざぞ。神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になってゐるのざから、そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。我(が)出したら判らなくなるぞ、てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ、臣民 無理と思ふ事も無理でない事 沢山にあるのざぞ、神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。毀(こわ)すのでないぞ、練り直すのざぞ。世界を摺鉢(すりばち)に入れて捏(こ)ね廻し、練り直すのざぞ。日本の中に騒動起るぞ。神の臣民 気つけて呉れよ。日本も神と獣に分れているのざから、いやでも応でも騒動となるのざぞ。小さくしたいなれど。旧九月一日、ひつくのか三。

月光の巻 第39帖 (826) 31-39
 何ごとが起ってきてもそなたは先づよろこべよ。それが苦しいことでも、かなしいことでも喜んで迎へよ。喜ぶ心は喜び生むぞ。人民よろこべば神よろこぶぞと申してあろが、天地はれるぞ。輝くぞ。そなたは先ばかり見てゐるぞ。足で歩くのぢゃ。足もとに気つけねばならんぞよ。そなたは自分ひとりで勝手に苦しんで御座るなれど、みなが仲よう相談なされよ。相談結構ぢゃなあ。相談して、悪いことは気つけ合って進んで下されよ。


[神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世の態(さま)見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。]
827+173=1000→1(一)
月光の巻 第40帖 (827) 31-40
 判らんことは神示にきくがよいぞ。遠慮いらん。そなたは一足飛びに二階に上がりたい気持がぬけない。何事も一段ずつ、一歩づつ進まねばならん。それより他に進み方はないのぢゃぞ。先づそなたの中にゐるけだものを言向け合さねばならんぞ。よく話し、教へ、導かねばならん。けものを人間と同じにしようとしてはならん。けものはけものとして導かねばならん。金は金。鉛は鉛ぞ。鉛を金にしようとしてはならん。鉛は鉛として磨かねばならんぞ。浄化とはそのこと。世は七度の大変り、いよいよの段階に入ったら、何が何だか、われよしの人民にはいよいよ判らなくなり、あせればあせる程ふかみに落ち込むぞ。心の窓を大きくひらいて、小さい我の慾をすてると、遠くが見えてくるのぢゃ。見えたら先づ自分の周囲に知らせねばならん。知らすことによって次の道がひらけてくるのぢゃ。自分だけではうれしうれしとならん。うれしくないものは弥栄しないぞ。冬になったら冬ごもりぞ。死ぬ時には死ぬのが弥栄ぞ。遊ぶ時は遊ぶがよいぞ。コト=言(光透)と、時と、その順序さへ心得て御座れば、何をしても、何を話しても、何を考へてもよいのぢゃ。

地つ巻 第36帖 (173) 5-36
 二二は晴れたり日本晴れ、てんし様が富士(二二)から世界中にみいづされる時近づいたぞ。富士は火の山、火の元の山で、汚してならん御山ざから臣民登れんやうになるぞ、神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世の態(さま)見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。大き声せんでも静かに一言いえば分る臣民、一いへば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ、今にだんだんにせまりて来ると、この方の神示(ふで)あてにならん だまされてゐたと申す人も出て来るぞ、よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世界きよめて呉れよ。分らんと申すのは神示読んでゐないしるしぞ、身魂 芯(しん)から光り出したら人も神も同じことになるのぞ、それがまことの臣民と申してあらうがな、山から野(ぬ)から川から海から何が起っても神は知らんぞ、みな臣民の心からぞ、改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ、雲霧はらひて呉れよ、み光出ぬ様にしてゐてそれでよいのか、気つかんと痛い目にあふのざぞ、誰れかれの別ないと申してあらうがな。いづれは天(アメ)の日つくの神様 御かかりになるぞ、おそし早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、早う身魂みがかねば御かかりおそいのざぞ、よくとことん掃除せねば御かかり六ヶしいぞ、役員も気つけて呉れよ、御役ご苦労ぞ、その代り御役すみたら二二晴れるぞ。十月十一日、一二か三。


[獣と神とが分れると申してあろがな、縁ある臣民に知らせておけよ、日本中に知らせておけよ、世界の臣民に知らせてやれよ、]
112+888=1000→1(一)
天つ巻 第05帖 (112) 4-5
 牛の喰べ物たべると牛の様になるぞ、猿は猿、虎は虎となるのざぞ。臣民の喰べ物は定まってゐるのざぞ、いよいよとなりて何でも喰べねばならぬやうになりたら虎は虎となるぞ、獣と神とが分れると申してあろがな、縁ある臣民に知らせておけよ、日本中に知らせておけよ、世界の臣民に知らせてやれよ、獣の喰ひ物くふ時には、一度 神に献げてからにせよ、神から頂けよ、さうすれば神の喰べ物となって、何たべても大じょうぶになるのぞ、何もかも神に献げてからと申してあることの道理よく分りたであろがな、神に献げきらぬと獣になるのぞ、神がするのではないぞ、自分がなるのぞと申してあることも、よく分ったであろがな、くどう申すぞ、八から九から十から百から千から万から何が出るか分らんから神に献げな生きて行けん様になるのざが、悪魔にみいられてゐる人間いよいよ気の毒出来るのざぞ。八月の三十一日、ひつくのか三。

星座の巻 第05帖 (039)→888 34-5
 悪の仕組通り、悪平等、悪公平の選挙でえらび出すのざから、出るものは悪にきまっているでないか、悪もよいなれど、悪も神の用(ハタラ)きであるなれど、悪が表に出ること相成らん。


[人間の戦や獣の喧嘩位では何も出来んぞ、くどう気附けておくぞ、何よりも改心が第一ぞ。]
901+99=1000→1(一)
星座の巻 第18帖 (052)→901 34-18
 天人が人民に語る時は、人民の中に来て、その人民のもつ言葉で語り文字を使うのであるぞ、自分と自分と語る如くなるのであるぞ、天人同士の文字は数字が多いぞ。夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言。

富士の巻 第19帖 (099) 3-19
 神世のひみつと知らしてあるが、いよいよとなりたら地震かみなりばかりでないぞ、臣民アフンとして、これは何とした事ぞと、口あいたまま何うすることも出来んことになるのぞ、四ツン這ひになりて着る物もなく、獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ、獣は獣の性来いよいよ出すのぞ、火と水の災難が何んなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ、それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、神が拾ひ上げて弥勒(みろく)の世の臣民とするのぞ、どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな、高い所から水流れるやうに時に従ひて居れよ、いざといふときには神が知らして一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。人間の戦や獣の喧嘩位では何も出来んぞ、くどう気附けておくぞ、何よりも改心が第一ぞ。八月の二十六日、 のひつくのかみ。


[・・・神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。]
911+89=1000→1(一)
竜音の巻 第03帖 (062)→911 35-3
 世界中が霊かかりとなると申してあるのは今のことであるぞ、かかりてゐる世界自身わからなくなっているぞ、サニワせねばならん、サニワの方法書き知らすぞ。世界を、日本を、自分をサニワせねばならん。目に見へぬ所からの通信は高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的となるものであるぞ、ドタンバタン、大声でどなり散らすのは下の下。神もフトマニに従わねばならん。順を乱すわけには参らん、高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、それぞれの段階を経て感応するのであることを忘れてはならんぞ、下級霊は現実界と紙一重の所に住んでゐるのであから、その感応は極めて強く、如何にも尤(もっと)もらしく人民の目にうつるものであるぞ、高度のものは、その人民のミタマの如何(いかん)によって、それと同一波調の神霊に伝達され、その神霊の感応によって表現されるのであるぞ。特別の使命をもつ天使は、最下級の霊界まで降って来て、人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ。また天使の霊が母体に宿り人民として生れてくる事もあるぞ、末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ。

富士の巻 第09帖 (089) 3-9
 神界は七つに分かれてゐるぞ、天つ国三つ、地(つち)の国三つ、その間に一つ、天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中界(ちうかい)の七つぞ、その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、その一つがまた七つずつに分れてゐるぞ。今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、今一苦労あると、くどう申してあることは、そこまで落ちることぞ、地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。この世は人間にまかしてゐるのざから、人間の心次第ぞ、しかし今の臣民のやうな腐った臣民ではないぞ、いつも神かかりてゐる臣民ぞ、神かかりと直ぐ分かる神かかりではなく、腹の底にシックリと神鎮まってゐる臣民ぞ、それが人間の誠の姿ぞ。いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟でゐて呉れよ、地獄の三段目に入ることの表(おもて)は一番の天国に通ずることぞ、神のまことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。何事も洗濯第一。八月の十八日、 の一二  。


[・・・獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ、]
84+916=1000→1(一)
富士の巻 第04帖 (084) 3-4
 一二三(ひふみ)の仕組が済みたら三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ、気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ。今度お役きまりたら そのままいつまでも続くのざから、臣民よくこの神示(ふで)よみておいて呉れよ。八月十三日、 のひつくのか三。

竜音の巻 第08帖 (067)→916 35-8
 竜体をもつ霊は神界にも幽界にもあるぞ、竜体であるからと申して神界に属すると早がってんならん。


[今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、]
933+67=1000→1(一)
極めの巻 第06帖 (084)→933 36-6
 和すには5と5でなくてはならんが、陽が中、陰が外であるぞ、天が主で地が従ぞ、男が上、女が下、これが正しき和ぞ、さかさまならん、これが公平と申すものぢゃ、陰と陰と、陽と陽と和しても陰ぢゃ、陽と陰と和して始めて新しき陽が生れる、陽が本質的なもの、この和し方がはらひきよめ。

下つ巻 第25帖 (067) 2-25
 今度の戦で何もかも埒ついて仕まふ様に思うてゐるが、それが大きな取違ひぞ、なかなかそんなチョロッコイことではないぞ、今度の戦で埒つく位なら、臣民でも致すぞ。今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ、戦出来ぬ様になりて、始めて分かるのぞ、神の申すこと、ちっとも違はんぞ、間違ひのことなら、こんなにくどうは申さんぞ。神は気(け)もない時から知らしてあるから、いつ岩戸が開けるかと云ふことも、この神示(ふで)よく読めば分かる様にしてあるのぞ、改心が第一ぞ。七月の三十日、ひつくのか三のふで。


[この方祀るのは天(あめ)のひつくの家ぞ、祀りて秋立ちたら、神いよいよ烈しく、臣民の性来(しょうらい)によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、]
935+65=1000→1(一)
極めの巻 第08帖 (086)→935 36-8
 元は5で固めたのぢゃ、天のあり方、天なる父は5であるぞ。それを中心として、ものが弥栄えゆく仕組、それを人民は自分の頭で引き下げて4と見たから行き詰って世界の【難ぢう】であるぞ。手や足の指は何故に5本であるか、誰にも判るまいがな。

下つ巻 第23帖 (065) 2-23
 世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神々様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは 九(こ)の神でないと分らんぞ。この方は天地をキレイに掃除して天の大神様にお目にかけねば済まぬ御役であるから、神の国の臣民は神の申す様にして、天地を掃除して てんし様に奉らなならん御役ぞ。江戸に神早う祀りて呉れよ、仕組通りにさすのであるから、臣民 我を去りて呉れよ。この方祀るのは天(あめ)のひつくの家ぞ、祀りて秋立ちたら、神いよいよ烈しく、臣民の性来(しょうらい)によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、神急けるぞ。七月の三十日、ひつ九のか三。


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